Olá Boa tarde!!!
皆さん海外の「お城」と聞くとどのようなイメージが浮かんできますか??

こんなお城や

こんなお城をたいていの人はイメージするのではないでしょうか?
が、しかし!!ブラジルには、いわゆる日本式の「お城」があるんです!!
それが、こちら!!


これが、ブラジルの街中にあるんですよ??
すごくないですか??
このお城は僕たちが生活していた、ロンドリーナ市から車で東へ約40分行ったところにある、アサイー(Assaí)市にあり、その名も「旭城」。
「ん?どうして日本の名前なの?」そう思った方も少なくないはず。
実は、このアサイー市、1932年に日本からブラジルへ渡った日本移民によって開拓された町なんです。そして、付けられた名前が「旭居住地」。
そのため、この町は元々「Asahi」という地名を使っていたわけですが、第二次世界大戦による日本とブラジルの国交が断絶したことや、それに伴う、公の場での日本語の使用禁止によって、「アサイー(Assaí)」という名前に変更されたという歴史があります。
では、どうしてこの「旭城」が建設されるようになったのでしょうか。そこには、意外な出来事があったのです。
冗談から生まれた城??
「旭城」は僕たちが留学していた2018年の5月に完成しました。その築城のきっかけは、築城計画が持ち上がる一年前の当時の市長とアサイーの日系団体の方が雑談だったそうです。
日系団体の方が、冗談のつもりで町の高台にお城建てたらいいよねという内容を市長に話したら、市長がそれを本気にしたようです(笑)
ただ、建設は費用の問題や市民からの反対などにより難航しました。
それにより、予定より8年遅れ、トータル10年がかりでようやく完成したのがこの「旭城」です!!
現在では、市のシンボル的な存在になっています。
旭城の中はどーなってる??
旭城の中はどーなっているの気になりませんか??
気になりますね??(笑)
今回は特別に実際に僕がとってきた写真をいくつか紹介します。




このように入植当時の農業の歴史に関する資料や実際に使用されていた農具などが展示されています。


また、日本移民100周年の式典などに関する写真も展示されています。

このように、旭城は後世の日系人たちに、日系社会の歴史を伝えていくための資料館として利用されています。
この点はまさに、現在の日本国内の城と同じ役割を果たしていますね!!
まとめ

いかがだったでしょうか。
このように、日本とブラジルは非常に深い関係があるんです。なので、時に、ブラジルは
「日本から一番遠くて近い国」
と表現されることもあります。
この表現、矛盾しているようでその背景を見ていくと、とても深い言葉だと感じるようになります!!
僕の大学での専門はブラジル文化、中でもブラジルの日系社会についてなので、今後のブログ内でも、そのことについても触れていければと思っています。
そして、皆さんにブラジルのことをもっと身近に感じてもらえたら嬉しいです!!!
もし、日本とブラジルの関係やブラジルの日系社会について知りたいことがありましたら、コメント欄に書いていただければ、僕の答えれる範囲で答えますので、どんどんお寄せください!!
それでは今日はこの辺で!Até mais✋(またね)
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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